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生い立ち② 野球に打ち込む

生い立ち② 野球に打ち込む

  • BBコラム

小学生の頃は、近所の公園で

暗くなるまで友達と毎日サッカーをして

遊んでいましたが、

 

中学校の部活で心機一転、野球をはじめました。

 

どうせスポーツをするのなら、

日本の国技である野球でしょ!

 

という意味の分からない自分勝手な

決めつけからでした(笑)

 

そんなノリではじめたので、

当初は下手くそも良いところで、

 

毎日家の壁にボールを当てて、

ゴロを取る練習をしていました。

 

地道な?練習の甲斐もあって、

無事にレギュラーとして

試合に出ることが出来ていました。

 

コツコツと練習したら、

ちゃんと成果が出ることは、

この頃に学んだ気がします。

当然?、強豪校から野球推薦が

来るレベルの選手ではありませんでしたので、

 

一般入試で県立の男子校に入学。

高校でも野球を続けることになります。

 

当時は、私が進学した高校と

同エリアにある私立の野球学校が強く、

 

県外からも野球推薦で有力選手を

引っ張ってきているような状況でした。

 

普通に考えれば、

大学進学を視野に入れて、

野球は楽しく出来れば良いやと

いう感じなのでしょうが、

 

私が入った学年ではたまたまメンバーが揃っており、

 

新人戦で同エリアの私立の野球学校に

実力で普通に勝ってしまうようなチームでした。

 

そんな感じでしたので、

甲子園を目指して高校3年間は

野球漬けの毎日でして、

 

早朝の自主練習から

夜21時くらいまで続くウエイトトレーニングと、

 

ホントに野球しかしてなかったですね(@_@;)

ちなみに、ガチで1日5食食べてました(笑)

 

高3春の福島県大会で優勝することは

出来ましたが、

 

甲子園に繋がる夏の県大会では

練習試合や公式戦で負けたことがない

チームにベスト8で負けてしまい、

 

自分達の世代では

結局甲子園には行けませんでした。

 

※1学年下の後輩たちが、

春の選抜21世紀枠の第1号として

甲子園の土を踏む事が出来ました。

ですので、甲子園のスタンドには応援行きました!

 

2番セカンドとしてなんとか

試合に出ていましたので、

 

「あぁ、人生って送りバントなんだ」と、

この頃にはじめて知ったと思います(笑)

 

私としては野球をやりきった感があり、

あれからもう15年以上経ちますが、

 

高校最後の負けた試合以降に、

自らの意志で野球をしたいと思ったことは、

本当にまだ一度もありません。

 

完全な燃え尽き症候群ですね。。

 

いやいや、

自分としては徹底的にやりきったつもりで、

 

後のプロ野球選手とも対戦することが出来ましたが、

(ソフトバンク摂津投手、ヤクルト畠山選手 等)

 

彼らと埋められない才能の差を感じたことだけは、

鮮明に覚えています。

 

そして、これ以上野球をやっても、

ご飯を食べることは確実に出来ないと

瞬時に悟りましたので、

 

大学へ進学して、

今後は別な事に打ち込もうと強く誓ったのでした。

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伊藤 陽介

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